古代ギリシア語とは

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ギリシア語の成立

ギリシア語は印欧語族 インド・ヨーロッパ語族の一つです。印欧語族には他にゲルマン語派、スラブ語派、ロマンス諸語、インド・イラン語派などがあります。これらの言葉には共通の祖語、先祖の言葉があるとされていてそこから別れたと考えられています。

ギリシア語はおよそ紀元前14世紀までその存在を確認する事ができます。地中海のクレタ島には線文字Bと言われる87の記号で描かれている文字があり、ギリシア語を記述したものと考えられています。その後フェニキア文字をもとに独自に発展させ、現在知られるギリシア文字を使うようになりました。

その後はギリシア語は現在まで使い続けられ現代のギリシア語まで繋がっています。現代ギリシア語は発音や文法、語彙に変化が生じたものの基本的には同じ言語と言えます。

古代ギリシア語の方言

古代ギリシア語はいくつかの方言が存在していました。エーゲ海の周囲に広がるギリシア人の住みついた土地の違いによるものとされています。

その中でも一番重要とされていたのがアッティカ・イオニア方言と呼ばれるものです。政治的にも文化的にも突出したアッティカ地方のアテネという都市国家がイオニア方言を受け入れそれが発展したものです。紀元前5世紀ごろとされています。その後その方言はギリシア語のモデルとされ様々な著作で使われるようになりました。

いわゆる古典ギリシア語、古代ギリシア語といわれるものはこの頃使われてアッティカ・イオニア方言を指しているものです。

共通ギリシア語の誕生

その後政治的な力関係に変化があり当時は辺境と言われていたマケドニアのアレクサンドロス大王が地中海や中近東を支配したころにコイネーと呼ばれる共通語が誕生します。それは経済的なつながりに根ざしたもので通商のために使われるようになりました。母語でなくても話者が多いのは現在の英語と似たところがあります。

そしてこのコイネーで新約聖書の大部分が書かれました。キリスト教がユダヤ人だけでなく世界に広まるきっかけはこの共通語であるコイネーの使用が大きな役割を負っていると思われます。

ローマ帝国から中世、現代へ

ローマ帝国がラテン語を公用語としていてもコイネーは根強く使われる付けました。分裂した西側が滅亡した後も東ローマ帝国あるいはビザンチン帝国は1000年ほど続きその間も形を変えながらギリシア語は使われ続けました。現代のギリシア語もこのビザンチン帝国でのギリシア語の上にあります。

とはいえ現代のギリシア人は古典ギリシア語を読めるとはいえ多少踏み込んだ知識は必要のようです。このあたりは現代の日本人が日本の古文や漢文に接する態度と共通するのではないでしょうか。

「古代ギリシア語」という場合、狭い意味ではアッティカ・イオニア方言、広い意味ではもっと古い成立期からコイネーまでを指すといわれています。

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