ロードス島でプロトゲネスとのやりとりで描かれたあの細い線だけの絵はその後どうなったのでしょうか。絵の行方はプリニウス自身が知っています。
consumptam eam priore incendio Caesaris domus in Palatio audio, spectatam nobis ante, spatiose nihil aliud continentem quam lineas visum effugientes, inter egregia multorum opera inani similem et eo ipso allicientem omnique opere nobiliorem.
その絵はパラティヌスの丘のカエサルの邸宅の最近の火事で焼失してしまったと聞いている。私は前にその絵を見たことがあるが、表面は見えないほど細い線で埋め尽くされ、他の芸術家の作品と並べると空虚に近い印象があるが、その空虚さがかえって人の目を釘付けにする。そして他の芸術家のどの作品群と比べてもその絵は有名である。
audioは一人称単数現在で「私は聞いている」の意味でその後の顛末はプリニウス自身から聞くことになります。不定句consumptam eam「それは消耗した」ですが状況を説明する奪格 priore incendio「最近の火事のときに」とあるので燃えてしまったのでしょう。その火事はcaesaris domus in palatio「ローマのパラティヌスの丘にあるカエサルの邸宅の」とあり特定することができます。記録によると紀元4年のことでした。
spectatam nobis ante「私たちに前に見られた」ということですが、spectatamは対格女性単数でeam 「その絵」について補足しています。つまりプリニウスはその絵を一度見たことがあると言っています。
絵についての別の補足はそのプリニウスによる描写です。spatioseは副詞「空間の」「隙間のある」、continentemは「構成された」で対格女性単数のためeam 「その絵」の言い換えになります。 nihil aliud quam lineasは「複数の線を除いては他にない」という意味でその線lineasはvisum effugientes「視覚から逃げている」と説明されています。「視覚から逃げている」とは「見えないほどの細さ」を意味しています。
もう一つの補足は他の作品との比較です。interは対格支配の前置詞「の間で」、egregia operaは対格中性複数で「素晴らしい作品たち」、multorumは属格で「多くの人の」つまり「多くの芸術家の」、inaniは与格で「空虚に」、similemは対格女性単数でこれがeamの言い換え「近いもの」です。空虚に近いとはいえeo ipso「そのこと自身によって」つまり「空虚自身によって」、allicientemは動詞allicioの現在能動分詞「惹きつけている」とあり作品が否定されてはいません。
最後の補足はnobiliorem 比較級の対格女性単数で「よりよく知られている」、比較対象はomni opere 集合的に「すべての芸術作品」です。
多くの線、視覚で捉えられないほど細く、しかもこれ以上の線を描くことができないほど全体が埋め尽くされていて、それでいて他芸術家たちの作品の中に置くと空虚に近い印象があり、それが逆に人々の注意を惹きつけ、結果として多くの芸術作品より有名であるとプリニウスはいいます。できるのであればその絵を一度見て見たいものです。