ルクレティウスというローマの哲学者について調べ物をしていたら小学生向けの本が見つかりました。早速こどもの図書館にいき借りてきました。少し珍しい本なので今日はこれを紹介します。
原子の歌 宇宙をつくるものアトム /ルクレチウス, 国分一太郎
ルクレティウスTitus Lucretius Carusは紀元前1世紀のローマの哲学者で詩人ですがあまり詳しいことが分かっていません。15世紀のイタリアで彼の著作の写本が見つかったことから有名になった人物です。その著作はDe rerum natura「事物の本性について」(英題 “On the nature of things”) というヘクサメトロス形式を持つ叙事詩のような哲学論科学論です。古代の哲学は世界をどう捉えるかというテーマを扱うことが多くこのことから科学のような自然を扱う議論も出てきます。
またヘクサメトロスとは六つの音節のブロックを1行に持ちこれが何千行と続くものでホメーロスの叙事詩やウェルギリウスのアエネーイスもこれと同じ形式です。
現代の一体誰が哲学と科学を同時に語りしかもそれを詩の形式にして歌い上げるようなことをするでしょうか? こういう人物がいたことやこのような作品が生まれたことが古代の魅力なのではないかと私は思います。
「原子の歌」はその「事物の本性について」の原子論の部分を子供向けに優しく訳出したものです。ルクレティウスはギリシアの哲学者の紀元前300年頃のエピクロス(Επίκουρος, Epikouros)や紀元前400年頃のデモクリトス(Δημόκριτος, Democritos)の原子論を元に自然の成り立ちを説明しています。「原子の歌」の出だしの一部を以下に抜粋します。
ものはどこからでてきたか。
ものはなにからできてるか。
人々は、
このようなものは、
神が作ったと思っている。
神の心をなだめるため、
人間の子が、神の前に、
生けにえとして、
ささげられねばならなかった。
むすめは、
なんのとがもないのに、
よめいりざかりの年ごろを、
万物をつくった神のために、
あわれにもうしなわなければならなかった。
神々の心をなだめて、
艦隊の船出のさいわいを、
いのるためだけに。
しかし、このとき、
ひとりの人間、
ギリシアの人、
エピクーロスが、
はじめて立ち上がった。
勇ましく反抗の目をあげた。
神が万物をつくったのではない
ものは神によってつくられたのではない
彼の想像の力と、
考える力は、
この宇宙の秘密のなかを、
くまなくかけめぐらせた。
この勝利者が、
わたくしたちに、
もたらしてくれたものは、
「ものはどこからでてくるか」
「ものはなにからできてるか」
ということであったのだ。
そしてこのことによって、
いままではびこっていた
宗教のほうがおさえつけられ、
勝利はわたくしたちを、
天と対等なものにまで、
高めてくれた。
このような出だしの後原子論が展開されるのですが、小学生でもわかる表現で話はすすみます。ひょっとしたら無理して大人向けの直訳の和書を読むよりはこちらの方が的を得る部分が多いのではないかとさえ思いました。
またこの本の分類は「理科」「科学」になっていますが語られる内容のいくつかは現代科学で教えている内容とは異なります。選者の板倉聖宣氏はあとがきでこのように言っています。
科学の教育というと〈間違ったことを教えてはいけない〉と思う人が少なくないのですが、そんなことを心配していたら、人々の創造性を発展させることはできません。まだ現代科学をよく知らないこども達や大人達だってルクレチウスと同じように間違って考える権利があるはずです。
もう絶版になっているようですが中古は出回っています。また図書館で探せば見つかると思います。
目次
最後に参考まで目次を載せておきます。
第一部
- ものはどこからでてきたか
- ものは神がつくりだしたものではない
- ものはアトムからできている
- 無からはなにも生まれない
- ものは無に返らない
- 目に見えないものがある
- ものには空虚(すきま)がある
- いままでのまとめ
第二部
- アトムはないみたいに見える
- アトムは密につまっている
- アトムは空虚とならんである
- アトムは永久不変
- やわらかいもの、かたいもの
- ある鳥はなぜ、いつまでもその鳥であるのか
- アトムは最小のもの
- 万物の素材は火ではない
- その他の考え方も真ではない
- この考え方は、なかなかみとめられない
第三部
- アトムの運動
- アトムの形
- アトムの結合
- アトムと感覚
- いままでのまとめ、新しい考えかた
- だいじな、だいじなこと
解説
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ルネサンスの初めにルクレティウスの著作が発見されたのはヨーロッパにとっては隠れた大事件でした。以下の記事ではこの発見時について書かれた本を紹介しています。