古ノルド語の文献が多く残されたのは中世のアイスランドです。アイスランドはノルウェーから1000キロも西の海に浮かぶ島です。スカンジナビアからアイスランドに植民した人々は多くの苦難を経てこの地にやってきました。
北大西洋の航海
中世までの一般的な航海法は海岸線をできるだけ追っていくものでした。こうすれば海の中で迷うこともないというわけです。しかしヴァイキング時代のノース人の船乗りは違いました。彼らは広い海原を渡り切るような技術の高い航海法を心得ていました。アイスランドで書かれた『植民の書』landnámbókにはノルウェーからアイスランド、そしてグリーンランドまでの航海の様子が書かれています。彼らは東から西へ進むのに緯度を固定する方法を知っていました。太陽が南中する角度を日々計測してこの角度を保つことによって方角を定めていたのです。またシェットランド島やフェロー諸島の位置も目視で確認していたようです。これらの技術はヴァイキングの間で口伝で伝えられていたとのことです。
陸地が見えなくなると太陽と風、海流や北極星が重要な指標となりました。他にも海中の動物例えば鯨や海鳥の様子、雲や波の形、海の色や遠くに反射する流氷なども参考になっていたようです。今日のようにGPSのない世界では命がけの航海です。コンパスが使われたという説もありますが定かではありません。
植民の書
中世アイスランドで書かれた多くの書物はこの入植者たちの物語です。古ノルド語では入植あるいは植民のことをlandnámと言います。landは英語のlandと同じく「土地」を意味します。námは動詞nema「取る」「奪う」から来た言葉でドイツ語のnehmen「取る」と同じ由来の言葉です。英語に相当する単語は他の由来を持つtakeで置き換えられていますが例えば形容詞のnimble「動きの素早い」などはこのnámと同じ由来の言葉です。一般的に植民には原住民との争いがつきものですがアイスランドは原住民のいない土地であったため入植者同士の争いを除けしかなかったとされています。landnámbókのbókは「本」の意味です。英語のbookと同じ由来であることは察しがつくと思います。
アイスランドの他フェロー諸島やグリーンランド、Vínlandと呼ばれる北アメリカ北東部の植民についての物語がアイスランドで書かれています。その中には有力者やその家族の情報や入植者同士の争いが書かれています。これらは12世紀から13世紀に書かれたとされていてちょうどキリスト教が北欧世界に広まった時期と重なります。
『植民の書』はこのような背景で1222年ごろアイスランドの歴史家Ari fróði「物知りのアリ」によって書かれました。最初の入植者はIngólfr Arnarsonといいlandnámsmaðr「植民の男」と呼ばれました。およそ860年ごろのことです。彼はアイスランド南西部に植民しました。現在アイスランドの首都であるレイキャビックReykjavíkです。名前の由来は「煙った湾」という古ノルド語です。温泉からの煙に土地全体が包まれていた頃からついたそうです。そこは他の入植者とも十分分かち合えるほどの広い土地がありました。