子供ができる前、私はよく旅にでました。見慣れない世界が大好きでいつもできるだけ遠くにそして長く旅行をするようにしていました。旅先ではいろいろな人に出会って馴染みのないようなよく知っているような考えも知ることができたものでした。「世界は思っていたより広い」と思っていましたし、初めて行く街の角を曲がるのにわくわくしていました。
何度目かの長い旅の後で私にもついに二人の娘ができました。それからの生活は一変しました。子育てには規則正しい日常が必要です。子供たちと私は見慣れた街で変わらぬ毎日を過ごすことになりました。
でもそう思っているのは自分だけで、すぐに私は子供たちが私と違う世界にいることに気づきました。子供たちには毎日が新鮮で、いつも通る道から知らない脇道に入るだけで彼女たちの新しい旅が始まるのでした。旅先の自分を背後から見ている気分になりました。
私も自分の気ままな旅がしたい。
でもまだ幼い子供たちには自分たちの生活があります。彼女たちを自分の旅に連れ出すわけにもいかないことはよく理解していました。そして私もそう思う一方で、ここで子供たちと一緒に暮らしたいとも思っていました。
そんな欲張りな思いを解決する方法をある日読書をしながら思いつきました。追い詰められると突飛な考えも浮かんでくるものです。
空間的に離れた場所に行くことができないのであれば、過去に行くのはどうだろう。昔の人の話を聞くことができれば旅と同じ位楽しいのではないか。
もちろん自分にはタイムマシンもないので実際に時間を超えることはできません。けれど古典はその価値や世界観が認められていること、古典の時代の人が今でも有名なことは知っていました。過去の世界に行くには古典を読めばいい、古典の世界の人々とは言葉をかわすことは出来なくても、自分の好きな人の話を聞くことはできる、そう思いました。
実際のところ今まで歴史にはそれほど興味を持ったことはありませんでした。けれど旅と考えるとそれらが大事な情報源に思えてきました。歴史の本は私にとって『地球の歩き方』や『Lonely Planet』といった旅行ガイドと同じカテゴリーの本になりました。
旅先で日本語以外の言葉を使うことは旅の醍醐味だったのですぐに古典を原文で読むと決めました。昔の言葉のほとんどは死語なので学ぶ価値もなく、難解だという話は聞いていました。でも古典を読むことを旅の一種と考えると旅慣れている自分ならできる、と根拠なく思いました。
こうして私は現地語で古典を読むという旅の計画を立てました。周りから見た私は多分いつもと変わらない様子に見えたでしょう。自分でも突飛な思いつきに思えたので周りの人にもあまり話しませんでした。でも私は旅に出る準備と思うと内心とてもワクワクしていました。
最初の目的地は古代ローマにしました。なぜならたくさんの古典作品が伝わっていますし、キリスト教の広がる前の地中海世界は今とはかなり違う世界のように思えました。現在のローマにも一度行ったことがあったのでイメージしやすかったのかもしれません。目的地に到着したという証拠として有名なラテン詩人の詩や博学な軍人の物語をラテン語で読むことを目標にしました。
今回の旅はラテン語を理解できるかが非常に大事でした。時間旅行においてはそのことは移動手段そのものです。早速本を集めてラテン語を独学で学びだしました。
とはいえラテン語は日本語はもとより私の拙い英語では手強く遅々として進みませんでした。そもそも英語も文法をしっかりやらずなんとなく話をして読んでいたので当然です。見知らぬ文法の規則が多く、その用法が複雑でなんだか合点がいかないまま、いつのまにか私の旅は頓挫してしまいました。学ぶことが多く整理もできませんでした。まるでビザが取れず入国できないまま国境で立ち往生している気分でした。
ある日ふと街中で目に入って調べた言葉がラテン語でした。
FESTINA LENTE
ゆっくりと急げ(=急がば回れ)
冷静に旅程を見直すことが必要だと思いました。どうやらこの旅は自分が想像していたものより長いものになると分かり何年かかっても構わないぞと腹をくくりました。
直接目的地を目指すのではなく入国しやすい経由地を見つけてそこに向かおう。ニュースでは拉致問題が話題になっていて日本の政治家は北京経由で平壌入りしていました。国交がなく直接はいけなかったからです。
幸いラテン語は公用語として使われなくなったあとでも口語としてフランス語やイタリア語といった現代語にも引き継がれていました。それらの言語は比較的身近に存在しています。直系の現代語をまず学んでそこを経由地として、そこから古典世界まで時間を遡ることにしました。
英語だけできればなんとかなると思っていた私はあまりフランス語やイタリア語に注意を払っていませんでした。このためそれらがどういう言葉なのか改めて調べました。
私はフランス語を学ぶことにしました。日本で得られる情報が比較的多いこと、19世紀まで世界共通語であったこと、国連でも英語に次ぐ地位を今も持っていることなどが理由です。前評判では難しいと言われていましたが英語と似た単語が多く始めやすかったです。3割くらいの英単語はフランス語由来のものなのだそうです。読み書きを優先して会話は後回しにしていたことも簡単に思える大きな理由だと思いました。
こうして国境での立ち往生が4年、経由地を定めてそこにたどり着くのが4年、それから2年くらいかけてようやく古代ローマにたどり着きました。最初の4年はただただ混乱していただけで、次の4年はただただ黙々と歩き続けました。最後の2年は旅に慣れたのか比較的楽に感じました。まだまだ時間がかかりますが辞書で調べながらラテン語を読めるようになりました。そんな旅の10年を過ごす一方でその間も子供たちと日常を暮らしていました。
まだ古代ローマには滞在する予定ですが次の目的地も決めました。古代で有名なギリシアの世界です。ギリシアには哲学や物語、劇や詩がたくさん残っています。古代ギリシアに行くには当然古代ギリシア語が旅に必要になります。幸いラテン語とギリシア語とは関係が深いのでそれほど辛い旅には見えません。
でもその前に一度今回のとても長かった旅行について記録したいと思います。もし旅行ガイドのようなものがあれば古代ローマへの旅は私ほど時間はかからないと思うからです。特に最初の4年は旅の方法を知っていればもっと短くできると思います。
ここではラテン語を主に、次の旅で必要な古典ギリシア語と、行けたら良いなと思う他の古典言語についても共有する予定です。北欧神話やヴァイキングの言葉である古ノルド語、印欧語族の一つとして興味深いサンスクリット、旧約聖書の世界を語るヘブライ語やアラム語、古代中国の思想や歴史のための漢文や日本書紀や古事記のための上代日本語についても少しずつ書きたいと思います。私は語学の専門家ではないですが旅の情報として必要な古典言語の情報をお知らせしたいと思います。
また旅の副産物なのですが英語やフランス語の理解も随分深まりました。英語の難しい単語もラテン語の普通の単語が元になっていたりします。その成り立ちを知ると丸覚えとは違いなかなか忘れません。こちらも知っておくと旅に大変便利なので紹介していきたいと思います。
古典世界への旅は空間を移動する通常の旅と同じくらいスリリングです。そして古典言語を学び始める時が時間旅行の最初の一歩です。
興味を持ったらみなさんもぜひ旅に出てください。